駄文学日記

サーカス

鏡/アンドレイ・タルコフスキー(1975)

「鏡」は、文脈上では断裂するイメージを、タルコフスキーという"私"の視点を中心に接続することで、それらがクロノロジカルにもアンチクロノロジカルにも成りうる、視点の可能性追求に感じる。加えて言えば「ノスタルジア」もそうだろう。逆説的に、文脈の順列を乱すことで"私"が浮かぶ現象とも言える。そして"私"が宿るのは、吹き抜ける風や揺れる草原、自然現象を強調し、観るものを幻惑させる映像文体である。

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クライムズ・オブ・ザ・フューチャー/ デヴィッド・クローネンバーグ(2022)

至って真面目に妄執に駆られる人間をクローネンバーグは描いてきたが、本作での人物もといクローネンバーグの妄執は、有機性だろう。開かれることと言っても良い。

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四季 ユートピアノ/佐々木昭一郎(1979)

知人がこの映画を「大事なことがすごい速度で過ぎ去って、出会いも別れも同じような。生は流動的と言ってたけどその通りで、生きることが音楽みたいな」と言っていた。うろ覚えだから厳密には違うけど、良い感想だった。その言葉に牽引されて本作を観た。

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夢の島少女/佐々木昭一郎(1974)

少女は音楽を愛していた。私は音楽を愛していないから、作中でパッヘルベルのカノンが流れるタイミングでの映像と物語の兼ね合いから少女は音楽を愛していたと推測するに過ぎないけど、愛で済ませられたならばまだマシなもっとどうしようもないものも音楽に仮託させてるから、別に音楽を愛していない私でも鑑賞体験として何かを引き受けてしまった。

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イメージの本/ジャン=リュック・ゴダール(2019)

「イメージの本」は大半が既存の映像や言葉で構成されている。故に映画は言葉でも音でも映像でもないことが示されてしまった。じゃあ映画とは何か。本作にその問の答えを求めればアーカイヴになるが、過去の集積から逆説的に提示可能な未来が映画だと思う。未来は未知と換言しても良く、コラージュの精度の高さ(私が何を以って高いと判断しているか私にもよくわからないが、高い確信がある)から成る快感は自分がインスタレーションに取り込まれたようなきらいもある。視覚で捉えて脳で処理するよりも何ステップか早い刺激であり、その感覚は体験という語が近い。色調を弄り、切って張ったと、あなたが言いたいならそう言えば良いが、きっとそうはさせない凄みがある。

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