東京安全鴉

サーカス

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 家には老犬がいます。所謂愛犬です。犬種はパグです。知ってますか、パグって中国の犬で、皇帝の墓からはパグの骨が出土したのですよ。パグは遺伝子組み換えされてません。人の欲のために、見た目を面白おかしく変えられてません。ミニチュアダックスフンドなんて、見てると気の毒です。そもそも、僕は愛玩のために動物を飼うのが好きではないですし、畜生に名前をつけるなんて、烏滸がましいとすら思う。だが、僕の願いに反して犬には名前がある。それがお前の生きた証ならばそれも悪くはないのか。

  この犬は人懐っこく、僕になついてます。だけど、僕はあまり犬を散歩させませんでした。そうこうして、約10年の月日がたち、後数年で死ぬと思います。流石にこのまま死ぬのは可愛そうだなぁ、と思い、最近散歩を始めたのですが、この犬、とても足が遅い。人の年齢に換算すると70なので遅いのは頷けますが、それにしても遅すぎる。ですが、そんなことを呟いたところで犬に言葉がわかるはずもなく、仕方なく一人と一匹で夜を闊歩します。暗夜行路を闊歩します。志賀直哉は別に好きではないです。なんて下らないことを思いながら歩くと、辺りはすっかり真っ暗で、自分がどこにいるかもわからない。こうなってしまうと、頼りになるのはこの犬一匹。家まで僕を引っ張ってくれないかと期待するが、犬もさっぱりお手上げの様子。振り向くと、間抜けな表情を作る、光る眼が二つ。こうしてみると、容貌は変われども、眼の光というものは相変わらず昔のまま。正確には、僕を見る眼は昔のまま。あぁ、そんなに期待してくれるな、僕はここから抜け出せないのだよ、と言うものの元気に、わん、と吠えるのみ。その声も昔のまま。きっと、僕も昔のままだったら二人この暗い路地も抜け出せるのだろう。

 幼い頃、手綱を放して公園の草むらを駆けたのを君は覚えてるかしらん?君の方が早かったのを覚えてるかしらん?今は僕の方が早いのだよ。犬の目は微かに濁ってます。僕に付き合わせてなんだか申し訳ない。しかし、こうなってはもう何もできない。仕方なく、二人路上にうずくまります。きっと、この闇はある日の僕たちが抜け出してくれます、草原を駆け抜ける早さで、抜け出してくれます。だが、この犬を僕に付き合わせる義理はない。僕はいつかの様に手綱を話します。犬は、二、三度振り返り、ひょこひょこ歩きます。このままいけば、いつか帰れるでしょう。僕は疲れました。元々体力はないのです。だから、これでよいのです。

 一人になると、なんだかとても気楽。最初からここには僕しかいなかったみたい。もうここから抜ける気もない。辺りには不快な獣臭だけが蔓延してます。いよいよ寝転びます。僕は一生ここから出られない。出るつもりもない。ここが僕の墓場なのだ。僕の屍は腐り、やがて偉大な白骨の山になるのだ。だから、おやすみ。

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