東京安全鴉

サーカス

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怠いなぁ、怠いなぁ、怠いなぁと毎日毎日毎日学校に行って帰ってご飯ご飯ご飯を食べて適当なことをして寝て学校へ行ってという生活を繰り返した挙句、ある日、家にいても疲れた、何をしても疲れた、帰りたい、何処に帰りたいのだろう僕は、疲れた、疲れた、本を読んでも飯食っても曲聞いても楽しくねぇ、楽しくねぇ、いや思えばここ数年何も楽しくねぇ、楽しくねぇ、僕は何で楽しくないのを無理矢理楽しいと思ってたのだろう?そういえば数年の記憶も大して無い。

そりゃそうか、別に人を馬鹿にするわけではなく、まぁ、価値観が全く合わない人間に囲まれて数年過ごしたら感覚がバグって、このままじゃ壊れるからっつうことで頭がスパスパ記憶を抜かしたのだろうな。というか既に壊れていると思うのだけれど。廻りの人間はヘラヘラヘラヘラして何がそんなに面白いのかよくわからないが、それなりに幸福そうなので、良かったなぁ、とか思って毎日過ごして、それを眺めるよ僕は。あまり覚えてないけれど。そして、いよいよ壊れてしまって、よし、死ぬか、と思い近所の廃屋に昇った。廃屋と言っても数ヶ月前に潰れたカラオケ屋のビルだからまだ新しい、と思って入ろうとしたら当然開かない。うわぁ、セキュリティ、安全、とか確かにめんどいなぁとか思って仕方なくビルの立体駐車場を登りました。二階、鳩の糞、三階、鳩の糞、四階、鳩の糞、五階、屋上といった形で五階から飛び降りるのがベスト、だけど僕みたいな人間の屑に似合うのは三階とかの鳩の糞で塗れた中での死。これがベスト。とか思って、インターネットで知り合った方々に別れを告げて、いやぁ、最後に別れを告げるのが見ず知らずの人達なんて、僕らしい、ビューティフル、僕なんかがいなくなるなんて、素晴らしい、素晴らしい、と思ったら死ぬのは止めてください、なんて連絡がそれなりに来てビックリしちゃった。■■さんや■■■■さんや■■■さんが思い止まって下さい、なんて、言って、嗚呼この人達だって死にたい死にたい死にたい死にますとかしょっちゅう呟いてるのに他人の死には敏感なのだなぁ、自分の生は肯定できないのに、他人の生は無条件に肯定できるのだなぁ、と思うとなんだか嬉しくなっちゃって、人の生を無条件に肯定できるって素晴らしいですよね?ああそっか、でも僕だって知人が死んだら少しは悲しいなかなぁ、わかんねえや、もう何年も前から自分が自分という気がしなくて、なんというか、殻、みたいな感じで、殻の僕を僕は俯瞰して生きていて、まるで三人称視点。ここで死んだってそれは殻が本物の抜け殻になっちゃうだけで、大した意味もないから別に死んだって構いやしないけど、生きることは贖罪で、僕はもう疲れちゃって、まだ罪は償い終わってないけれど、ごめん、先に楽になるよ、みたいに思って、僕なんかは生きる価値が無いけれど、他人が僕を肯定して幸福になってそれを邪魔するのは悪いことです、といった感じでじゃあ、死ぬのは辞めよっかなぁ、でもなぁ、とか思ったら■■■■さんが、自分も余裕なんてないのに電話かけてくれて、今度は■■さんが必死に僕を止めて、連絡ください、なんてLINEのQRコード送ってきて、なるほど、■■さんは■■■という名前なのか、なんて間抜けなことを思って、アァ僕の生を本当に考えてくれる人っているんだなぁ、温かい人もいるんだなぁ、なんだか悲しいなぁ、って、ここまで他人に止められた上で死ぬのは、流石に見苦しいので死ぬのはやめました。

帰宅して風呂入って、寝るか、と思ったらどうしようもない不安感みたいなのが沢山出てきて薬薬薬飲んで吐いて、吐瀉物って何年ぶりに見たんだろう、感慨深いなぁと思うけど気分は悪くなる、衰弱は進む一方で、布団に潜り混むと僕の短い人生が急に思い浮かんできた。なにこれ、走馬灯?こんなのはじめて、とか思ったら走馬灯ではなく、所謂フラッシュバック。

■■さんが、というのも■■さんは高校3年生で理系から文転したらしく、丁度僕も同じ時期に文転して、理系の頃に目指していた学部が一緒、そしてその学部、職業に大してモチベーションが無かった、みたいなのも同じで勝手に親近感湧いてたんだけど、結構前に、どんなに嫌でも相当抵抗するまで学校を休めなかった、どこに行くにも親がついて監視されてた、親に対して恐怖心を抱いていた、みたいな旨の事を呟いていて、たしか僕は呑気に、うわぁ、難儀だなぁ、大変だなぁ、とヘラヘラしてたけどそういえば僕も似たようなもんで、5歳?か6歳?の頃に余りにも泣いたりしてうるさかったから捨ててこい、と祖父が命令して、祖母はそれを傍観して、僕は抵抗して、車に乗せられ、両親に暗い山の中に捨てられた経験が何回かあって、そのせいで暗闇が怖くて確か数年間ずっと暗闇が怖かったのですね、なんでずっと忘れてたんだろう、今になって思い出したのだろう、と感じるのも束の間、次のフラッシュバックが始まります。

今度は習い事、空手ピアノ水泳云々、色々やってたけどどれもやめたくて、けどやめさせられなくて、嫌だイヤダイヤダと言っても休んだことはなくて、僕は運動は嫌いじゃないけど、ルールのあるものは苦手で、それで空手なんてのは理不尽に怒られてそれに耐えて、ある意味精神面では鍛えられたけど、ピアノなんてもっと怖くて僕は十数年やってたけど嫌で嫌で嫌だったので家で一度も練習しなくて、でも親はそんな屑な僕を見て、なんでもできる、才色兼備、みたいな期待しちゃうもんだから、応えなきゃ申し訳ねえなぁつって「今日はこれを練習したよ」なんて嘘ついちゃって処世術みたいになって、嘘をつくのが得意になっちゃった、やった。ハッピー。幸せビューティフル。そこから僕の嘘つきの人生は始まります。祖父母は僕がたくさん食べてると、健康、精悍で、素晴しい、みたいに、嬉しくなるので、別に好きじゃないけど無理してたくさん食べてると、たくさん入るようになって、食事を好きだと思うようになった。これはこれでよかったのかな、料理とか楽しいし。まぁ、今は飯なんて喰う気も無くて、吐くだけなんだけど。というか、これが元々の僕だったのかしらん?よくわかりません、で、嘘をつくのが上手くなって、自分でも言ったことが嘘か本当かわからなくなって、十数年前過ごしてきました。それで教育なんてのも一生懸命で親に「お前の頭には何が詰まってるんだ」と怒鳴られた経験がフラッシュバック。フラッシュバックとジャックナイフって似てるよね。五歳児にかける言葉としては辛辣、とか思う余裕もなくてひたすら号泣、で、また山に捨てられた。姥捨てならぬ子捨て。笑える、みたい。とか父親も母親も基本、優しくて、あまり怒らなかったけど、一年に一回くらい?怒る時は起こるもんで、覚えた処世術で会話に軽口叩いて合わせたら逆鱗触れちゃって、まず殴られる、倒れる、髪掴まれる、立たされる、殴られる、泣く、殴られる、殴られる、殴られる殴られる殴られる殴られる殴られる殴られる殴られるつって目も頭も、体全体が腫れたあたりから記憶がなくなって、目が醒めたら山の中。また気絶。記憶亡くなって、起きたら今度は布団。どこからが夢なのかもわからないけど、多分全て現実なんだろうなぁ。親の期待に答えなきゃ申し訳ないなぁと思うけど怒られるのは嫌なので自然と会話も減ってきて、そしたら心配されちゃって、ここら辺から殻になった僕は何も考えずに生きて話して相手を笑わせて、たまに逆鱗触れちゃって、殴られる殴られる殴られる殴られる殴られる、笑える、みたい。まぁ、殻になってるから何も感じないんだけど。まぁ、殻の奥に閉じこもってもあまり意味なんてないのだけど。だって僕は、生まれたときから小さな小さな檻に閉じ込められてるのだから。それは、僕の頭の中にあるのです。頭の中の小さな檻に生まれたときから閉じ込められてるのです。わはは。愉快。けど、殻の奥、檻の中にいる僕は、殻の僕が殴られたり、色々な目に合うのを見ると、うわぁ、君、そろそろ限界じゃない?痛そうだね?大丈夫?代わろっか?なんて思うけど、そもそも、そうやって表に出ていたら、気が狂って狂って狂って壊れそうになるので、結果として引き篭もってるので、そんなお前が出るなんて、ちゃんちゃらおかしい、笑える、いいよ別に、俺、あまりそういうのわかんねえし、都合の悪いことはすぐ忘れちゃうし、なんて殻の俺は言うんですよね、ははは、笑える。なんて大袈裟に書いたけど逆鱗に触れるのは一年に一回程度だからあんまり気にしてなかったし、普通に思ってたけど、どうやら違うみたいで、こうしてフラッシュバックするってことはトラウマなんだろうなぁ、それにしてもよく平気で親を僕は好きだって思ってたなぁ、まぁ、親に悪意はなくて、親は僕を愛してるんだし、やりたいことは何でもやらせてくれて、普通に仲は良いので、まぁ、いっか。それにしても何で忘れてたんだろう、そっか、思いだしたら気が狂うからか、そっか、じゃあ今はもう来るっていいのか、限界なのか、壊れよう、もう楽になっていいのかって、布団の中でガタガタ震えて気付いたら涙なんて出ちゃって、けど昼のことが思い浮かんできて、死んだら駄目だなぁと思ったら我慢できなくて■■さんに電話をかけました。

号泣しながら年上の異性に電話かける僕情けない、最後まで、この期に及んで、みっともないなぁ、と思うも■■さん真剣に聞いてくれるもんだから、なんだかすごくいい人だなぁっていう気持ちが膨らむばかり。一人暮らしの物件を探した時も相談に乗ってくれて、うわぁ、世の中こんな良い人もいるんだ、知らなかったよ僕。馬鹿にしてる訳じゃないけど、周りの人なんて下らないのばかりで、もう一切期待しないことにしてから、こんな経験初めてで、思わずまた泣いちゃった

だって、周りの人間なんて皆弱い人ばかりで、夢を持っても努力なんてしなくて、イエス・キリスト仏陀みたいな正論を持った人が来たら迷わず石を投げつけるような人ばっかり。そんな中で僕にできることなんて、嘘をつくこと。夢があってそれに向かって何の努力もせず正論をぶつけられたら落ち込む人に対して、満面の笑みで、君はこのまま頑張れば夢は叶うよ、なんて言うことだけ。嘘ですよ、嘘。でもそれで彼らは救われて幸福になるんだから、やめるわけにはいかなくなって、すると、僕はどんどん嘘つきの、屑になっていくけど、周りからは、あいつはとても優しい、だなんて言われて、更に嘘をつく。ああそっか、弱者ってこうやって幸福になるんだなぁ、じゃあ俺はなんなんだろう?人間の屑で嘘つきで、これは間違いなく弱者、だけど幸福ではない、なんて、訳がわからない。世の中の大半の人間が努力すら出来ない、そんな中で努力したのに、というか、今も努力してるのに、親から夢を批判されたりしてる■■さんみたいな人もいるんだから、珍しく僕にも真人間らしい憤り、感情が芽生えて、胸糞悪い、クソッタレ、なんていうか、残酷で、世の中って、むつかしいね、本当。

なんとか寝て、一晩たって、思うに、僕の人生に足りないものは反省と後悔。人間というものは、失敗、過ちを犯した場合、ああ、これじゃ駄目だなあ、これじゃいかんなあ、と反省や後悔をしながら、それを心に深く刻みつけ、二度と同じ間違えを繰り返さず、そして前へ進んでゆくのである。そこへゆくと僕はどうか? 僕は全然駄目だ、反省しない。そして当然駄目なことを繰り返し、だから駄目なことをしても仕方ない人間なのだ、というか、駄目人間のくせに駄目じゃないことをしようと躍起になる方がまるで滑稽であり、むしろもっと無惨。駄目なら駄目らしく、敢然と駄目道を追求してゆくべきであり、その方面に才能を生かしてゆくべきであり、僕は駄目のエリート、地獄の王子、駄目であることにおいて誰よりも秀でており、才能を生かすのにまさに適した人間性である、間違っていない。僕は絶望を唱え続け、敢然と破滅するべきだ。とか言う、おかしな思想を振りかざして、まるで反省するところがないため、同じ間違えを平然と繰り返し、反復運動、ピストン運動、でもって失敗を立て続けに連続発生させて、駄目螺旋階段をあっという間にかけくだる。そして「駄目なら駄目でいいじゃん」と言いながらも、心が弱いものだから、不安と恐怖に心が荒み、幻覚が見え、妄想とたわむれ、人を殺しただのなんだの、妄言をふりまき、奇声をあげ、周囲に嫌な感じを発散しながら生きるはめになるのである。

 もう、そういうのはうんざりだ。僕はここで、自分のこの邪悪な思想を捨て、反省、後悔を繰り返しながらよどみなく明日へむかって前進する善良者の道へ回帰しなくてはいけないのである。

 そこで僕はあることを思いつき、コンビニエンスストアでノートと鉛筆を買ってきた。
「貧困な精神、反発的な思想、で迂闊な行動をとるから、僕は人生を台無しにしてしまうのです。」
 と言う一文を、正座をして、鉛筆で、ノートに何度も書き取りをすることにした。それくらいしないとわからないのです僕は。反省しないのです僕は。馬鹿だから。はは、18才にしてノート書き取り、僕は、ははは。さ、書こう、書こう。書き取りをして反省してまともな人生に回帰し、そして前進するのだ。

 貧困な精神、反発的な思想、で迂闊な行動をとるから、僕は人生を台無しにしてしまうのです。貧困な精神、反発的な思想、で迂闊な行動をとるから、僕は人生を台無しにしてしまうのです。……
 それにしても、書いてて気がついたのだけれど、「僕は人生を台無しにしてしまうのです」なんて、おかしい。正しくは、してしまいました、という過去形のはずである。もうなってる、つーの。それなのに、してしまうのです、だって。「貧困な精神、反発的な思想、で迂闊な行動をとった結果、僕は人生を台無しにしてしまいました。僕はもうだめです。」と、こう書きかえたらどうだろう、はははは、これを書き取ろう、ははははは。
 ということで、僕は人生を台無しにしてしまいました。僕はもうだめです。と何度も何度もノートに書き付けていたのだけれども、そしたら、そのうち字がぐわわっと盛り上がって、せまって来て、眼球を貫通して、脳を直撃して、僕は思わずのけぞって、そのまま仰向けに倒れてしまった。貫通された目から涙がボロボロこぼれるし、脳髄はジーンとしたまましびれてるし、もう動けない、もう一行も書けない。ちょっと反省しようとしたくらいで、なんて情けない、なんてみっともない有様。

 電灯の光が、ぐわんぐわん揺れているように見える。いや、天井全体がぐわんぐわん揺れているように見えているのだ。そんな僕を、誰かが見下ろしているように見える。目の前に人の顔が見える。誰だろう、逆光で真っ暗で、しかもぐわんぐわん揺れているものだから、人の区別がつかない。誰だか知らないけれど、ああ、見るな、こんな、反省に失敗して脳髄をしびれさせて涙を流してひっくり返っている無様な僕を見るな、見るな。笑っているのか? 心配しているのか? どっちでもいいから、一人にしてください。僕は今はしびれているけれど、すぐに回復して、またノート書き取りを続け、反省、後悔を続け、真人間に戻り前進するので、放って置いて、一人にしてください。お願いですから、一人にしてください。僕はノートに書かなくちゃならないんです。僕が、貧困な精神、反発的な思想、で迂闊な行動をとり、人生を台無しにしてしまったことを、自覚しなくちゃならないんです。いままでの僕の全てを全力で否定しなくてはならないのです。それが僕の今の仕事なんです。書かなくちゃならないんです。見くだすのはやめてください。もう絶望を願いながら生きていくのはいやなんだ。とわめいているうちに、僕を見下ろしている誰かはどこかへいなくなった。

 すっかり脳髄のしびれがとれ、回復するころには、もうカーテンは白んでいた。朝をむかえたのだ。
 空気が澄んで、鳥がちゃっちゃっと鳴いて、部屋のなかはとてもすがすがしい感じに満ちている。まさに、僕が真人間に戻るにはふさわしい、聖なる雰囲気。
 さあ、そして僕はノートの書き取りを再開しよう。自分がいままで行ってきたことを噛みしめながら、しっかりとノートに書き取るのだ。一字も漏らさずに、妥協せずに、自分を呪わずに、脳髄をしびれさせることをおそれずに、繰り返し続けるのだ。そしてねじけた思想と精神を矯正し、朝は近所の住民とさわやかに挨拶を交わし、昼は学業に徹し、夜は明るい将来を夢見ながら心地よい眠りにつく、そんな素晴らしい真人間に変身するのだ。僕はそうなるのだ。
 さ、書こう、書こう。明るい将来に向かって、
「貧困な精神、反発的な思想、で迂闊な行動をとった結果、僕は人生を台無しにしてしまいました。僕はもうだめです。」
 と書くのだ。
 遺書のような文句だけれど。
 

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