駄文学日記

サーカス

PASSION/濱口竜介(2008)

たとえば、腕に砂が零れて、その上から更に水が垂らされて、それらが私の体温で溶けて一定の粘質を獲得したときに感じる嫌悪感のようなもの。それが暴力。

外界と内界の輪郭が曖昧になり、わたしはわたしのまま他者を受け入れようとするから、わたしはほんとうの他者と対峙することができずに、わたしのなかで生み出した他者を、わたしの方法で慈しみ、わたしの方法で殺してしまう。わたしの手つきが、他者にあなたという人称を与えてしまった。そこには個人の代替可能性と残酷さと、真実を知りたいという好奇心が担保されている。でもほんとうのことを知るための覚悟は誰もできていない気がする。わたしはいまからほんとうのことだけを話します、と宣誓したところで、そこに含まれる誠実さは、宣誓して生まれたいま/ここの場を保つだけの力しかない。それは制度に近しく、しかしわたしとあなたの会話をゲームにする程度の一時的な規範に過ぎない。パロールを欲求して後天的に生じたラングに居心地の悪さを感じる。けれどわたしが居心地の悪さを感じている、とあなたが思ってしまったときに、あなたは疎外されたような気持になる、と思う。わたしにはわからない。真実という語が定義する領域と同等の広大さを備えた暴力が、外から来るのか、内から溢れるのか、わからないし、わかりたくないと思うときもある。それら感情は、あなたを断片的にしか捉えられないわたしに許された、あなたの線分だと思う。あなたと私の関係はいつしか離散的になってしまい、あなたと私がいれば、部屋でも、外でも、湖でも、路上でも、この世界ならばどこでも二人だけの空間に変質させることができた、親密さのような何かは、いまとなっては互いをつなぎとめる一つの力学的要素に過ぎない。親密さはかつて、時間のようなものだった気がする。わたしたちは、きっと暴力を許してみたかっただけなのに、それは傍から見れば裁かられることの欲求とたいして違わなかっただろう。わたしはいまからほんとうのことだけを話します。わたしは裁かれたかった。あなたはいまから、わたしがほんとうのことだけを話していると、信じてください。そして、あなたがほんとうに信じている、とわたしが思えてしまう、あなただけの文節をわたしにください。人を愛してみてください。その人がわたしであれば嬉しかったけれど、わたしが愛されることより、あなたが人を愛せることの方が、大事だと思います。ほんとうのことだけを言うゲームは終わりです。しかし、このゲームを自発的に一人で進行し続ける権利はあなたに与えられています。