駄文学日記

サーカス

王国(あるいはその家について)/草野なつか(2019)

素描のような質感だった。忘れることのできない表情と声色があった。それがいつの表情か、私はもう忘れてしまった。

鏡/アンドレイ・タルコフスキー(1975)

「鏡」は、文脈上では断裂するイメージを、タルコフスキーという"私"の視点を中心に接続することで、それらがクロノロジカルにもアンチクロノロジカルにも成りうる、視点の可能性追求に感じる。加えて言えば「ノスタルジア」もそうだろう。逆説的に、文脈の…

ボーイ・ミーツ・ガール/レオス・カラックス(1984)

空間の分断に出色した映画だった。地点Aと地点Bを結ぶものがカットといえば当たり前かもしれないが、その当たり前が優れているからこそ言及に値する。

クライムズ・オブ・ザ・フューチャー/ デヴィッド・クローネンバーグ(2022)

至って真面目に妄執に駆られる人間をクローネンバーグは描いてきたが、本作での人物もといクローネンバーグの妄執は、有機性だろう。開かれることと言っても良い。

四季 ユートピアノ/佐々木昭一郎(1979)

知人がこの映画を「大事なことがすごい速度で過ぎ去って、出会いも別れも同じような。生は流動的と言ってたけどその通りで、生きることが音楽みたいな」と言っていた。うろ覚えだから厳密には違うけど、良い感想だった。その言葉に牽引されて本作を観た。

夢の島少女/佐々木昭一郎(1974)

少女は音楽を愛していた。私は音楽を愛していないから、作中でパッヘルベルのカノンが流れるタイミングでの映像と物語の兼ね合いから少女は音楽を愛していたと推測するに過ぎないけど、愛で済ませられたならばまだマシなもっとどうしようもないものも音楽に…

イメージの本/ジャン=リュック・ゴダール(2019)

「イメージの本」は大半が既存の映像や言葉で構成されている。故に映画は言葉でも音でも映像でもないことが示されてしまった。じゃあ映画とは何か。本作にその問の答えを求めればアーカイヴになるが、過去の集積から逆説的に提示可能な未来が映画だと思う。…

2023年上半期に観た映画で良かった作品たち(旧作)

屍より腐臭たちこめる夏、皆様はいかがお過ごしでしょうか?(無い季節の挨拶) 最近の僕は市場で母を拾い、隣人を殺し、裏切りに味をしめていました。 あとは新作を観るお金が無く、旧作の映画を観てばかりいた。60本程度を観た気がする。前置きはこの位で。

狭窄する認識の増幅と解体/町屋良平「ほんのこども」を読んで

書くという行為が何かに従属する、ということ。 なぜ従属か。何をするかわからない、思い通りにならない体に従っているから。 Pascal Quignard,La Haine de la musique,1996(パスカル・キニャール 博多かおる訳(2019)音楽の憎しみ 水声社 第一版 93ページ)

夢ではなく、夢を見る時間そのものとしての映画「マルメロの陽光」

第一段階 エリセの映画として 本作は夢見るための舞台装置として機能せず、夢の不在を肯定する。夢見る時間そのものが映される。 第二段階 ロペスが主人公の映画として 現実が夢の不在を肯定するが故に、本作は夢を見る装置として機能し、夢見る時間そのもの…