駄文学日記

サーカス

鏡/アンドレイ・タルコフスキー(1975)

「鏡」は、文脈上では断裂するイメージを、タルコフスキーという"私"の視点を中心に接続することで、それらがクロノロジカルにもアンチクロノロジカルにも成りうる、視点の可能性追求に感じる。加えて言えば「ノスタルジア」もそうだろう。逆説的に、文脈の順列を乱すことで"私"が浮かぶ現象とも言える。そして"私"が宿るのは、吹き抜ける風や揺れる草原、自然現象を強調し、観るものを幻惑させる映像文体である。

作られたものを観ることで、いまここには不在である主体の意識が表出し、私たちはその意識が見る夢をまた観ている。「鏡」の構造的成功は、作者の意識の反復を要請されることに加え、その意識も回想という形式で作者のなかで反復されていることにある。
回想という行為はそのプロセスで、意識の能動的作用と受動的作用に分割される。前者はこの世界に刻まれた事実/過去を出来事として再認識すること。後者は再認識する際に付随する感情である。
「鏡」における作者の能動的な回想意識をフィードバックさせられる受動意識の担い手は鑑賞者に移り、鑑賞者という"私"のなかでのみ反復されるものもある。そこで反復される映像経験にはタルコフスキーの内にある意味論的な罪悪感もあり、私は美しさと同等の罪悪感を抱いてしまう。